令和3年前期 江西照康後援会便り作成しました。

多くのご支援をいただき、再選させていただきましたが、新任期早々結膜炎が酷くなるやら、コロナ禍により、ご挨拶や報告に伺えないことに加え、副議長に就任したことから、議会ごとに議会傍聴ダイジェストを作成したり、質問に立つことができず、いったい何をしておるのだとお叱りを受ける今日この頃、まずは6月議会を終え、自分なりに皆様に報告させていただく江西照康後援会便りを作成いたしました。

後援会とは何やら閉鎖的な組織に思われるかもしれませんが、政治活動を行う場合、政治団体を作らねばならず、それを後援会という組織にしている政治家がほとんどです。何故なら、監督行政機関のひな形が後援会だからです。

ですから、後援会便りという名前を使っていても、私を支援して下さる後援会の皆様に限定したものではありません。因みに今まで作成してきた議会傍聴ダイジェストは政務活動費は一切使っていないものの、政務活動だと考えています。

いったい何を言いたいのか、皆様にはわかっていただけない話だと思いますが、政務活動費の一連の問題が発生し、それに憤りを感じ議員になった者としては譲れない主張です、くだらない話ですが。

さてこの後援会便りの中で、『鳥だ!飛行機だ!富山市政のラストマン江西照康です。』といった少し砕けた表現を使っています。これは興味や親しみを感じていただくための表現ですが、このラストマンの意味が皆様にはわかりづらいと思います。

これを語ってしまうと、またまた長い文章になるので控えますが、自分自身の考える課題に対し、「自分の後ろには、もう誰もいない!」という逃げない覚悟を意味しています。

日立製作所の元社長、川村隆さんの著書、一俗六仙に度々登場するフレーズで、私はこの本をを読んで感銘を受けるとともに、私自身市会議員に出ようを考えた理由として、表現に窮していた、まさにその本質を突く言葉なのです。

私はこの8月で55才になりました。最近強く思うことがあります。今の日本人として最も分厚い思考を持っているのは、70代の方々だということです。(80代前半も含む)

久しぶりに書くと、話は転々としてしまいますので、この辺で止めておきます。