市議会では定例のものとして、年に1回程度、全議員を対象に議員研修会が開催されます。

今回は、こういったテーマでした。今回の研修では講師となった高柳富山大准教授は、自分の作成資料以外は著作権の関係から、リンクを開いてほしいと説明していたので、自分も配布された資料の掲載は控える方が良いと思うのですが、とりあえず最低限だけ掲載させていただきます。

研修は、富山市のまちづくりについて、前向きな視点で、ご説明いただきました。
よって、研修の目的自身を否定するつもりもなく、それこそ研修の趣旨をはずれるので、誤解しないでいただきたいとは思いますが、この目的、自分にとっては勉強しても、私を支持する地域や皆さんにはあまり縁のない話なのです。

私は、何度もお伝えしていますが、富山市の都市計画は、ここでいう、新都市計画法(現行法の原型)を壊さなければ、何も始まらないと考えています。
この新都市計画法により、線引き都市計画が富山市でも行われますが、いつでも見直せると思っていたのか、浅い配慮での都市計画になっています。よって、講師が提言する、今日の研修目的はことごとく通用しません。
例えば、線引き都市計画は学校配置を今になっても配慮しないことから、通学はWalkable(ウォーカブル)でなくなろうとする地域が出始めています。また、都市デザインの権限は、87%が市の判断で行われる様になったともお話されたのですが、それは富山市の一部についての話に他なりません。
富山市の、土地の面積構成は、下図の通りです。これを見てお分かりの通り、その他(山岳地帯)に山林などで、市内面積の75%以上を占めています。

残りの20パーセントのうち、宅地は6.8%に過ぎません。田の11%に比べれて小さな面積です。
田は95%以上が市街化調整区域の田です。その周辺には市街化調整区域の宅地が拡がっています。
今後は、街づくり第2ステージとして、住民主導ともいいますが、市街化調整区域の扱いについては、市町村の判断で進めることはできません。また、地区計画も市街化調整区域内の農地は、原則農業振興地域であることから、検討することはできません。
ようは、富山市の過半以上の面積において、地方分権も住民提案も夢のまた夢なのです。
高柳准教授は、英国での生活体験もおありだったとのことで、廃業に至った炭鉱の町が、脱炭鉱により自由な選択をその地域住民が行ったとの体験事例もお話になったのですが、農業振興地域の農地は、そんな自由も認められていません。都市計画の世界とパラレルワールドのように存在する、農業振興政策という名の規制は集落を苦しめ続けています。
