謹賀新年 還暦を迎えて

新年明けましておめでとうございます。

私は、本年還暦を迎えることとなりました。60通りある干支の2巡目に入ることができましたが、私の干支は少し特殊なものになります。

丙午、ひのえうまであり、女性にとっては、曰く付きの干支になることから、私の生まれた昭和41年は、人口のくびれを形成しています。

私の一回り前の丙午は1906年、明治39年のことでした、その世代が適齢期を迎える昭和初期の時代は、お見合い結婚が主流だったのでしょうが、丙午生まれの女性はそれだけで、候補者から外されることがあったようです。そして私の生まれた昭和41年の頃は、長寿化真っ只中であったことから、還暦を迎える丙午も多く、その苦労を身に沁みて知っていることと、当時もお見合い結婚が主流であったことから、丙午で女性に産まれようものなら、大変なことになるということが、切実に喧伝されたようです。

私が60歳を迎える今年、そんな馬鹿げた話を誰も真に受けないでしょうが、その頃の人が決して愚かだったとも言えません。

逆を言えば、私達が今正しいと思っていることも、未来の人から見れば、なんとも滑稽な話になっていることも、無きにしも非ずです。

滑稽ならば、まだ良しです。取り返しのつかないことをやってくれたなと恨まれないように、できる限り多面的な視点で、行動していかなばならない、それが地方議員の役割であること、還暦者の役割であるということを改めて覚悟した次第です。

おこめ券は農家、農協への利益誘導なのか?

最近のニュースでは、おこめ券は農家、農協への利益誘導だとか、米価を高止まりさせ、農水省が農家の権益を守ろうとしているのだとの論調が絶えません。

私が結構好きな辛坊治郎までそんなことをラジオで話しています。辛坊治郎の言うことをいつも、感心して聞いているのですが、私の知らない分野についても、こんな浅い視点で話しているのかもしれないと思うと、世の中、何を信じてよいのかわからなくなります。

米の価格は、市場に任せる。鈴木農相がよく言う言葉です。しかし、この言葉は農家を苦しめ続ける、農家虐待の言葉です。鈴木農相をはじめ、農水省は農家のことを顧みてきたとは思っていません。

市場に任せるという言葉は、誠に綺麗で自由なイメージですが、これは一面的な誤りです。肝心の農地は財産権を収奪され、米を作る以外に全く自由が利かないからです。この農地をがんじがらめにしたままで米の価格を自由競争させるので、農地の価値は、負のスパイラルで墜落中です。せめてもの、まやかしの政策が、「減反」です。

石破首相は、このまやかしすら壊し、増産するといったので、それこそ、米作農業の一斉放棄が始まる可能性すらありましたが、それを抑えて生かさず殺さずに戻そうというのが、現鈴木農相の目論見でしょう。

現在、農地はただでも引き受け手がないのが現状です。理由は沢山ありますし、ここで文章に書いても当事者以外は理解できません。

現在、農地の相続を受け、誰も買ってくれないからと、耕作者に無償譲渡を投げかけても、耕作者は原則断ります。何故なら、自分が被相続人なった時、同じ苦労を子孫に残すからです。合わせて、所有権を持つと、借りて耕作するより大幅にコストが上昇します。では、新たに法制化した国庫帰属制度を使えばどうなるでしょう?果たして耕地整理された大型の田んぼでも、百万円(珍しくない一般的なケース)の負担金を国に納める義務が発生します。

それが嫌なので、後生のお願いとして田んぼを貰ってもらうことに成功すればどうなるでしょう?果たして引き受けた農家には、譲渡所得税が課せられることになります。概ね固定資産税評価額の4倍程度(富山市の場合)の価値を無償で貰ったと、税務署は税金をかけてくるのです。ならば国庫帰属は、国への寄付じゃないのか?

今までの安すぎる米の価格は、こんなところにまで皺を寄せてきているのに、その時は知らん顔で、ほんの1~2年、他の物価高騰と同じように値段が上がると、社会問題となる。

おこめ券ごときで、農家が救われるはずもないし、おこめ券ですら、農家を甘やかす施策だと非難する。国民の食の安全は、崩壊寸前です。

富山市議会 議員研修会 学者の話は通用しない

市議会では定例のものとして、年に1回程度、全議員を対象に議員研修会が開催されます。

今回は、こういったテーマでした。今回の研修では講師となった高柳富山大准教授は、自分の作成資料以外は著作権の関係から、リンクを開いてほしいと説明していたので、自分も配布された資料の掲載は控える方が良いと思うのですが、とりあえず最低限だけ掲載させていただきます。

研修は、富山市のまちづくりについて、前向きな視点で、ご説明いただきました。

よって、研修の目的自身を否定するつもりもなく、それこそ研修の趣旨をはずれるので、誤解しないでいただきたいとは思いますが、この目的、自分にとっては勉強しても、私を支持する地域や皆さんにはあまり縁のない話なのです。

私は、何度もお伝えしていますが、富山市の都市計画は、ここでいう、新都市計画法(現行法の原型)を壊さなければ、何も始まらないと考えています。

この新都市計画法により、線引き都市計画が富山市でも行われますが、いつでも見直せると思っていたのか、浅い配慮での都市計画になっています。よって、講師が提言する、今日の研修目的はことごとく通用しません。

例えば、線引き都市計画は学校配置を今になっても配慮しないことから、通学はWalkable(ウォーカブル)でなくなろうとする地域が出始めています。また、都市デザインの権限は、87%が市の判断で行われる様になったともお話されたのですが、それは富山市の一部についての話に他なりません。

富山市の、土地の面積構成は、下図の通りです。これを見てお分かりの通り、その他(山岳地帯)に山林などで、市内面積の75%以上を占めています。

残りの20パーセントのうち、宅地は6.8%に過ぎません。田の11%に比べれて小さな面積です。

田は95%以上が市街化調整区域の田です。その周辺には市街化調整区域の宅地が拡がっています。

今後は、街づくり第2ステージとして、住民主導ともいいますが、市街化調整区域の扱いについては、市町村の判断で進めることはできません。また、地区計画も市街化調整区域内の農地は、原則農業振興地域であることから、検討することはできません。

ようは、富山市の過半以上の面積において、地方分権も住民提案も夢のまた夢なのです。

高柳准教授は、英国での生活体験もおありだったとのことで、廃業に至った炭鉱の町が、脱炭鉱により自由な選択をその地域住民が行ったとの先進?事例もお話になったのですが、農業振興地域の農地は、そんな自由も認められていません。都市計画の世界とパラレルワールドのように存在する、農業振興政策という名の規制は集落を苦しめ続けています。

富山市水道料金最高3.16倍?

共同通信の配信ニュースであることから、北日本新聞と富山新聞の双方で掲載されたこのニュース。ちょうど水道料金の議会質問を終えたばかりの私には、この配信ニュースの意味が理解もできないし、納得もできません。

40年前の料金と現在の料金を比較し、その上昇倍率が富山市が最も高いというものですが、現在の富山市の料金は平均的だと認識しています。

とするならば、40年前と変わらない東京をはじめとする大都会の上下水道料金が40年前は異常に高かったことになります。

この配信記事の中で、時折水道料金と下水道料金が一緒になったり、水道だけの話になったりと、一貫性がないことも、よりこの記事を難解なものにしています。

一番水道料金の安い都市が赤穂市で、一番高い夕張がその8倍という話と、県庁所在地では徳島市が一番安いという話。値上げ率の比較の話になったりと、テーマそのものも一貫性がありません。

この話をそもそも整理すれば、下水道の普及率も大きく関係してきます。いわゆる昔の汲み取り便所の家庭の解消率は、そのまま上下水道料金の上昇につながります。払っていなかった家庭が払うだけの話なのです。

だからこそ、40年前に下水道の普及率の既に高い大都会の上昇率は低いし、昔から高いだけの話。

施設整備や、修繕に取り組むタイミングでは、上昇率がアップするし、それが一息つけば、しばらくそのままの自然増で済むことにもなることでしょう。

以前、通信社配信の記事で富山市議会自民党を揶揄する記事を書いたつもりで。我が自民党会派と間違えて記事を書かれたことがあります。

その時に、北日本新聞、富山新聞、通信社にそれぞれ苦情の電話を入れましたが、富山新聞以外は謝らず、北日本新聞は配信記事だから私に言われてもお門違いだと、こちらがより腹立つような回答。通信社は、間違えたからといってどうしろっていうのかと、馬鹿にするように開き直る始末。

今回も、この記事は、だからなんですか?

で終わるのでしょう。

伊東市長の百条委員会の中継を見て思うこと

よそのことは自分に影響がないので、憂鬱になる必要もないはずですが、イライラ嫌な気持ちになる委員会でした。

最近は、追求する側の迫力や思考力がおかしなことになっていると、思わざるをえません。

田久保市長は、まやかし論法で乗り切ろうとしているのですが、質問者がそのまやかしに付きあって、まやかしを崩そうとするものだから、結局何を聞いて、何に答えるべきかが、混沌としてしまう。挙げ句の果てには、東洋大学を悪者にすれば、田久保市長もそれだけは勘弁してくれというとでも思ったのでしょうが、反対に、東洋大学に謝れと逆に責められる始末で、そもそもこんな時は皮肉を込めたやり取りは、きっぱり捨て去り、ストレートに質問する以外はないのです。

子供の漫画の問答のように、かっこよくやりこめようとすると、現実の世界では痛い目にあう。相手をより辱めようとするから、こんなことになるのだと思います。

しかし、田久保市長もここまで往生際が悪いと、最後に自分自身に耐えきれなくなるのではないか。そんな心配すら出てくる百条委員会でした。